私たちについて

  経営理念
   PHILOSOPHY

Mission

スポーツの力で社会を変える

スポーツは健康だけでなく、新たな機会を与えてくれます

人生の転機、非認知能力の向上、人生観、地域との絆、未来への希望

こうした機会に気づき活かすことで人々の人生を、そして社会を変革します

Vision

スポーツを人生の中心に

生活の中心にスポーツがあり、そこを通じて人々の出会いや活動が行われる

スポーツが人々にとって娯楽のひとつではなく、かけがえのないものになる

そんな未来を実現します

Value

挑戦を重ねる精神
Pioneering Spirit

プロサッカー指導者としてゼロからキャリアを築いた経験をもとに、常に新しい挑戦を続けます。

教育と育成への情熱
Passion for Education

若手人材の育成やキャリア教育を通じて、スポーツ界に新しい価値を生み出します。

多角的な視点
Diverse Perspectives

指導、運営、教育の知見を融合させた独自のアプローチで、多様なニーズに応えます。

Concept
スポーツライフをデザインする

志あるクラブの持続可能な成長基盤を構築し、スポーツ界を革新する戦略的人材を育成する

志あるクラブの持続可能な
成長基盤を構築し
スポーツ界を革新する
戦略的人材を育成する


情熱を持つクラブ運営者の成長を支え、未来を切り拓く戦略的リーダーを育てる

情熱溢れる組織運営者の成長を支え
未来を切り拓く戦略的リーダーを育てる


スポーツの解放と、コミュニティの創造

スポーツの開放と、コミュニティの創造

代表メッセージ
MESSAGE

夢を信じ、実現する力

2005年2月、山口県のレオーネ山口(現レノファ山口アカデミー)のコーチとして新たな挑戦を始めた私は、ある大きな夢を描いていました。

レオーネ山口をJリーグクラブにする

新潟ビッグスワンスタジアムで観たアルビレックス新潟の試合。4万人を超える大観衆の熱狂と、その声援を受けて躍動する地元出身の選手たち。その感動的な光景を、新天地の山口でも実現したいと心に誓いました。

当時の保護者総会で、まだ遠い夢だったこのビジョンをプレゼンした瞬間を今でも鮮明に覚えています。「山口にスポーツ文化を根付かせ、地域とともに成長するクラブをつくる」という言葉に、恥ずかしさよりも強い確信がありました。

レノファ山口の誕生とJリーグへの挑戦

数々の課題に直面しながらも、スタッフや地域の皆さまとともに汗を流し、一つひとつ乗り越えてきました。そして2015年、クラブはJリーグの舞台に立つことができました。レオーネ山口はレノファ山口のアカデミーとして現在も活動しています。

これは単なる結果ではありません。地域の応援、育成された選手たちの努力、そしてクラブ運営の挑戦が生んだ結晶です。

代表   住田 優
SUMIDA MASARU


夢の実現とその先へ

私たちが目指したのは、ただJリーグに昇格することだけではありません。地元で育った選手たちが地域の誇りとなり、子どもたちが夢を抱けるクラブづくりでした。その理念は今も変わらず、私はスポーツを通じて社会に新たな価値を提供する活動を続けています。

あなたがもし、スポーツを通じて地域を盛り上げたい、または自身の夢を追いかけるヒントを探しているなら、私の経験がその一助となれるかもしれません。
一緒に未来を描き、実現していきましょう。


主な資格
CERTIFICATION

JFA公認A級ジェネラルコーチ
JFA Sports Managers College(GRADE3)
J-League Head of Education
ビジネスマナー検定1級


経歴
MY CAREER

「無理だ」と言われ続けた挑戦の記録

私がプロサッカーコーチになりたいと言ったとき、周囲のほとんどがこう言いました
「お前には無理だ」。
平凡以下の選手としての経歴、人脈ゼロ、そして二度の高校中退。誰がそんな人間が成功すると信じるでしょうか?
それでも私は情熱と向上心だけを胸に、サッカー界に飛び込みました。以下はその挑戦の歩みです。


【高校時代と挫折】

  • 1993年 岡山県立倉敷青陵高校入学
    サッカー部に所属するも目立った成果はなし。素行の悪さから親を困らせ高校3年で自主退学。親から勘当され、家を出ました。
  • 1995年 千葉県船橋市 朝日新聞販売所で住み込み勤務
    17歳で初めて社会に出て仕事の大変さを経験。
  • 1996年 千葉県立船橋高校定時制編入
    関東定時制通信制サッカー大会で優勝するも、出席日数が足りず中退。二度目の高校中退となりました。

【新たな決意と再挑戦】

  • 2001年 サッカー指導者を志す
    人生をやり直そうと決意。働きながら大検(現・高卒認定試験)に合格。勉学と仕事を両立し、専門学校進学の資金を準備しました。
  • 2002年 JAPANサッカーカレッジ入学
    24歳で指導者としての第一歩を踏み出すため、サッカー専門学校に進学。

【指導者/フロントとしてのキャリア】

2005年〜2013年 レオーネ山口FC
27歳で指導者キャリアをスタート。任意団体をNPO法人化し、理事長兼指導者として育成チーム(U15、U12、普及)の指導、クラブ運営ではさまざまな企画運営でクラブの経営基盤を強化し収益増加に貢献しました。市施設の指定管理受託、文部科学省の事業受託やtoto助成金事業などを積極的に行い、クラブの経営規模拡大に成功しました。またU18創設では、野田学園高校との業務提携契約を行いました。

2013年〜2023年 レノファ山口FC
トップチームコーチとして全国社会人サッカー選手権優勝に貢献。その後、U18・U15の指導を担当し、クラブのJリーグ参入と選手育成に寄与しました。フロント業務も兼務し、サポーターの皆さんとの協働、ボランティアグループの立ち上げ、行政、経済界との協力体制を築くことができ、クラブの経営基盤強化にも貢献することができました。アカデミーから何人ものプロ選手が誕生。またサッカー選手にはなれなかった卒業生も立派な社会人となり多くの教え子たちが幅広く活躍しています。

2024年 アトレチコ鈴鹿(JFL)
JFLのトップチームコーチとして新たな挑戦を開始。1シーズンで3人の監督と仕事し様々な知見を得ることができ、さらには三浦知良選手のプロフェッショナルな姿勢を身近で感じ、学びを得ることができました。


【現在】スポーツライフデザイナー
プロサッカーコーチ・クラブ運営者として20年以上のキャリアを活かし、スポーツライフデザイナーとして起業。
クラブ運営者や若手指導者の支援、プロアスリート・プロコーチのキャリア形成支援、大人のサッカー教室の主催などを行いながら、スポーツ界の未来を創る活動を続けています。